時々、人に話したり、ここでも書いたことがあるかもしれないけど、歌を作ったり俳句を作ったりする時に一番邪魔なものが自分自身なのである。
だからそうした活動を「自己表現」だと言ってやっている人もいるけど、私にとっては違うのだろうと思っている。
最も手の内が知れている、自分の頭で考えたものなんて面白くも何ともない。
突然、降って湧いたようにアイディアが浮かぶことがあるが、それは自分の意識の下から浮かび上がってきた、自分でも気付いていなかった願望なのではないかと思う。そうしたものがいくらか含まれていないと自分の作品は本当に退屈だ。
今日、録画しておいたへウレーカ!を見たら、又吉直樹が同じようなことを言っていた。
今回は「ダンゴムシに心はあるか」というテーマだったが、心=脳ではなくて、もっと心の定義を広めたものだった。
ダンゴムシが持つ、障害物を避けるために曲がって歩いた後に必ず最初と逆方向に曲がる習性を利用して抜け出せない迷路のような状況に置くと、しばらくは習性通り順番に左右に曲がり続けるが、突然壁をよじ登って脱出するそうだ。
それは私にとっての「降って湧いたようなアイディア」と同じようなものなのかもしれない。
出演していた研究者の先生は、その行動に「心」を見ているらしく、なかなか難しい話だったのでここには書かないが、もしかすると自分たちが持っている心の基になったものなのかもしれない。
自分の意識の下にある願いを放っておくと辛くなるだろうから
歌を作るのは、自分の意識下に気付く為でもあるのだと最近考えている。