久女忌は俳人の杉田久女の命日。1月21日なので今日のタイトルにするのは少しおかしいが、先月の句会で私は
水色の古き鋲抜く久女の忌
という句を提出し好評を得た。
句会といってもメールで行う句会である。
句の提出と選句・評価、簡単な結果発表までをメールで行い、しばらくすると全句と詳細な結果の載った冊子が送られてくる。
今は簡単な結果発表まで進んだところである。
著名な人物の命日は多く季語になっているが、なかなか難しい季語だと思う。作るのはともかく、読み手からすると、太宰治や夏目漱石ならともかく、よく知らない人物、特に俳人ともなると聞いたこともない人物の命日の句など、一体何が面白いものだろうか。
私も長らく、命日の句は作るのを避けてきたと言うか、思いつきもしなかったのだが、ようやく私にもこの一句が降りてきたのである。
この句は本当に久女忌の辺りに私が水色の画鋲を抜いたことから出来上がった。
昔ながらの金色のよくある形の画鋲だが、円形部分が水色に塗られている懐かしいレトロな画鋲で、何も留めてもいないのに一体いつから刺さっていたのかと思い、少し迷ってから抜いたのだ。
その行為を久女忌と合わせた。
上五はしばらく思いつかなかったが、事実をそのまま書いてみようと思い「水色の」としてみたところ、句がとても鮮やかになり不思議な魅力を感じたので採用した。
長く刺さったままだった鋲を抜くという行為が、師との確執や家庭の問題を抱えていた杉田久女の心情に共鳴しているのかもしれない。
こうしてパッと閃いたような句は自分で作ったというよりは見つけたような感覚で、自分でも色々と解釈できて面白い。
どのように解釈されて好評を得たのか、冊子が届くのが楽しみである。