福寿草

 

最近聴いたラジオ。

青森の人じゃないと何言ってるかわからないかもしれない。

正直、私も所々わからない。

最後の方で、板に向かって板の声を聞いた時に初めて彫れるので、次にどんな板画を作るのか聞かれても答えられないと話している。

私も曲は作ると言うより捉えるものと感じていて、多分その感覚に近いものだと思うけど、それを作品に変えるときの集中力が私には無さすぎる。

ただ、こうして出来た作品は自分の存在を超えているから自分でも面白いと思うことができる。

この感覚が普段の生活にも浸透してしまって、計画通りに物事を進めたりすることが出来ない。

 

最近飲食店を始めた友人とよく話すが、「コンセプト」をまず考える癖が全くない。

その友人も取材を受ければコンセプトを聞かれて困るそうだが、私もラジオ番組を始めるときにコンセプトを細かく聞かれて疲弊した。

対象の性別や年齢まで書かねばならず、全く意味がわからなかった。

友人の飲食店は、私が「普通のご飯を食べられる店が無いから欲しい」と言った願望をだいぶ汲んでくれた店になっていはいるが、それでも特に言うほどのコンセプトは無さそうだ。

それでも性別年齢問わずお客さんが増えていっている。

見え見えの作為の無い雰囲気に心地よさを感じているのでは無いかと思っている。

もちろん彼の人柄と料理の美味しさがあってのことだが、私は自分の望んでいたような店にお客が増えていくのをみて内心ほくそ笑んでいる。

 

 

畑に福寿草が咲いている。

 

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